マトリョーシカといえば、人型の人形の中に一回り小さい人形が入っていて、更にその人形の中にはもう一回り小さい人形が・・・というリカーシブル(入れ子)な構造になったロシアを代表する玩具です。
マトリョーシカ発祥の地も当然ロシア・・・かと思いきや、この玩具の起原はなんと日本にある(かもしれない)というお話です。
始まりは入れ子弁当箱
時代は江戸時代の末期にまで遡ります。信州地方ではお弁当箱が入れ子になった「入れ子弁当箱」が作られていました。
この入れ子弁当箱は現在でも使われています。お弁当を持っていくときは、おかずの段とご飯の段の2段重ねになっていて、食べ終わったら2段目を1段目に仕舞ってコンパクトに持って帰れる、あのお弁当箱です。
弁当箱から進化した十二たまご
1844年に信州から箱根へと出てきた入れ子弁当箱の職人さんが、この弁当箱のアイデアをもとにして、「十二たまご」と呼ばれるタマゴ型のおもちゃを作ります。
十二たまごも入れ子弁当箱と同じく、たまごの形をした入れ物の中に更にたまごが入っている・・・という入れ子構造になったものです。十二たまごについては次の記事に詳しく書かれています。
こちらも伝統工芸品として現在でも箱根湯本では販売されているようです。最後にちっこいヒヨコが出てくるところが憎らしい(笑)てか、欲しい・・・!
十二たまごから七福神へ
一方で、この箱根地方は七福神参り(今で言うスタンプラリー)が有名で、全国から多くの人が七福神参りを目的に箱根湯本に集まってきていました。
当然お土産として七福神をかたどった置物は人気がありましたが、いかんせん7体もいるので、お土産としてはかさばります。 そこで信州の職人さんが作った「十二たまご」のアイデアと「七福神」のアイデアを組み合わせて、七福神の置物を入れ子にしたものが作られます。だんだんとマトリョーシカに近づいてきましたね(笑)
この入れ子になった七福神は「箱根の入れ子細工」とよばれ、こちらも十二たまごと同じく現代まで受け継がれています。
七福神はロシアへ行き、マトリョーシカになる
当時、箱根にはロシア正教会の避暑館があり、そこに来ていたロシア人修道士が偶然この七福神の入れ子細工を購入して自国に持ち帰りました。これがもとになり、ロシアでマトリョーシカが作られるようになったという説が有力です。
ロシアのセルギエフ・ポサード博物館には「マトリョーシカは日本から伝えられた」という記述があり、マトリョーシカのモデルになったとされている箱根七福神の入れ子人形も展示されているとのことです。この経緯は次の記事が非常に詳しいです。
そして、1900年にはロシア国内で生産されたマトリョーシカ人形がパリ万博に出展され、ロシア各地で様々なマトリョーシカ人形が生産されるようになりました。
時は流れて2018年、現在は日本にロシアのマトリョーシカが逆輸入された結果、マンガ・アニメとミックスされさらに独自の文化(?)へ進化している模様です。