カルタが日本に伝わったのは1543年、室町時代です。ポルトガルから南蛮渡来品として九州の長崎地方に伝わったようですね。
カルタはポルトガル語でCarta、英語ではカード、フランス語でカルト、ドイツ語ではカルテです。当時ポルトガルから伝えられたものは現在のカルタと言われているものとは違い、トランプに近いものでした。
伝えられてきたカルタのスーツ(紋標)は聖杯、剣、棍棒、金貨の4種類で、各スーツにはキング、クイーン、ジャックと1〜9の数字カードがありました。
4種類のスーツ×各12枚の数字カードなので計48枚でワンセットです。
ポルトガルから伝わったカルタは九州の三池地方(いまの大牟田市)で印刷されていました。このカルタを「天正カルタ」と呼びます。現存する唯一の天正カルタは兵庫県芦屋市の滴翠美術館に保存されています。
この天正カルタはたちまち日本中に広まりました。カルタは手軽に持ち歩け、携帯性に優れていたため、戦国時代には武士たちの遊び道具として大流行します。
まさに現代で言うところの3DSと同じものですね。
江戸時代になると武士や貴族だけでなく、一般庶民にもカルタ遊びが広がるようになります。庶民の間に広まるにつれて遊び方も少しずつ変化し、カルタは賭博に使われるようになりました。
http://www.geocities.co.jp/Playtown/4007/phy30.html
賭博があまりに横行したため、江戸幕府は1648年にかるた禁止令を発布します。
が・・・・
いつの時代も同じように、法律に対する抜け道が手を変え品を変え考案されます。
カードの枚数を48枚から75枚に増やしたうんすんカルタ(雑なすり抜け方ですね。笑)や、小倉百人一首のルーツとなる歌かるた、 絵合わせかるた、いろはかるたなどがが考案されていきます。
このように、江戸時代はカルタの変形バージョンがが大量に考案されましたが、その中でもひときわ拡散力(中毒性?)が高かったのが「花札」でした。
花札の詳しい歴史については次回!